墓地の語りかけに耳を傾ける

みなさんの多くは、ご家族や親しいご友人の埋葬式やお墓参りのため、墓地に行ったことがあるかと思います。 しかし、地域の歴史について知るために墓地を散策したことがあるという方は多くはないのではないでしょうか。 モントレー市が運営するセメンテリオ・エル・エンシナール(Cementerio El Encinal)では、モントレーの日系社会について多くのことを知ることができます。

墓地は終の棲家として、5世紀以上もの長い間、様々な歴史を刻んできました。 日系コミュニティは長い間、死者を敬ってきました。洞窟やアーチ型の空間にある納骨堂と呼ばれる埋葬場所に遺骨を納めることもあります。 現代では、遺体を土に埋めたり、火葬した遺骨を納骨堂に納めたりする場所を「墓地」と呼ぶようになりました。 広島の平和公園のように、遺骨は別の場所に納め、慰霊碑を建てて死者を祀るというコミュニティもあります。

モントレーのセメンテリオ・エル・エンシナールには、この地域に住んだ多くの日系人が眠っています。 この墓地は、東をCamino Aguajito、南をFremont St.、北をPearl St.に囲まれた10エーカーの区画にあります。 この土地は、1930年代初頭にローマ・カトリック教会からモントレー市に譲渡されたものです。 セメンテリオ・エル・エンシナールの西側には、13.5エーカーの敷地に、地元教区が所有・運営するサンカルロス墓地(San Carlos cemetery)があります。

セメンテリオ・エル・エンシナールの周りは現在全面芝で覆われており、スペイン語の「エル・エンシナール」が意味する樹木と類似するオークの木立に囲まれていますが、1930年代には、草のないむき出しの土地でした。 古い方針のもとに設置された日本式の垂直に立つ墓石も少数ありますが、現代の決まりでは個別の霊廟や日本式の墓石の設置は許可されていません。

セメンテリオ・エル・エンシナールでは、初期のコミュニティメンバー、多様な文化的価値観や慣習、社会的地位などを通して地元の日系人コミュニティについて知ることができます。 墓地の南東部では、埋葬者の名前により2つのアジア系グループに分かれていることがわかります。墓地の一番南東(Fremont St.寄り)の墓石には日本人の名前が多く、北側に中国人の名前を多く見ることができます。 アジア系ではない名前の墓石は墓地内に散見されます。

日本の墓石の一部には漢字が、中国の墓石の一部には手書きの文字が使われています。ここに文化の違いを見ることができます。 書かれている文字を注意深く読むと、宗教的な嗜好が垣間見えるものもあります。 墓石の大きさや質、彫刻の違いから、社会的地位の微妙な差を見て取ることもできます。

墓地の日本人セクションを歩くと、モントレーの日系社会の創設者や重要人物が神殿に並んでいるのがすぐに目につきます。 墓地内には、モントレー半島の歴史に大きく貢献した個人や一家の墓石もあります。

モントレーに移民した最も早く生まれた日本人移民がKumahachi Inazu氏(1860年生)、Rokumatsu Ono氏(1862年生)、Gennosuke Kodani(1867年生)、Tomekichi Manaka(1869年生)であったことも、墓石によりわかります。 この4人は、明治に入る直前の幕末に生まれています。 Ono氏、Kodani氏、Manaka氏は、モントレー漁業初期の有力者でした。 Ono氏は魚屋を経営しており、Kodani氏は ポイントロボス缶詰会社のA.M. Allen氏と共同経営でアワビ事業を開拓しました。

このほか、モントレー地区にやってきた初期の日本人移民には、Sadanosuke Sugano氏(1870年生)、Tokujiro Kuwatani氏(1870年生)、Ikutaro Takigawa氏(1876年生)、Senjiro Suyama氏(1877年生)、Onojiro Uchida氏(1877年生)、Koichi Tanaka氏(1877年生)、Torakichi Tabata氏(1878年生)がいます。

墓石には漢字が刻まれているものもあり、埋葬の際には伝統的な日本文化に従っていたことがうかがえます。 また、Nishikawa氏の墓石のように、キリスト教式埋葬であったことを示す十字架を載せた墓石もあります。

漢字で書かれた墓石の周りには、中国語で書かれた墓石もあります。 19世紀末から20世紀初頭にかけての強い反アジア情勢を考えると、この2つのアジア人墓地群は、日本人と中国人が人種的に隔離されて埋葬されていたのを意味するのではないかと考えられます。

市が人種隔離政策を採っていたという証拠はありませんが、モントレーの初期の日系人が自発的にこの墓域を選んだか、あるいは第二次世界大戦前のモントレーにおけるより大きなコミュニティが中国人および日本人の埋葬場所を制限していたことがわかります。

2010年現在、セメンテリオ・エル・エンシナールは、東にAguajito湖を臨み、10エーカーの敷地にオークの木が点在する、静かな公園のような墓地です。 1930年初頭に土がむき出しだった路面は、現在では芝生で覆われ、車両用に舗装されています。 積み重ね式埋葬方式を用いたり、霊廟や火葬された遺骨用の納骨堂などを限られたスペースに設置したりすることにより、人間の持つ埋葬・追悼したいという思いは満たされてきました。 しかし人口増加のことを考えると、近い将来、故人の弔い方を考え直さなければならない時が来るかもしれません。

コミュニティの墓地を散策したり、墓石に紙を当てて鉛筆で紙をこすることによって墓石の彫刻を紙に写したりすることで、墓地は地域住民の生活の興味深い一面を見せてくれます。 セメンテリオ・エル・エンシナールの南東部を散策するとモントレー半島の日系人の歴史を垣間見ることができます。 墓地の語りかけに、耳を傾けてみてはいかがでしょうか。

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